【感想】フォン・ノイマンの哲学/高橋昌一郎

フォン・ノイマンの哲学

概要

21世紀の現代の善と悪の原点こそ、フォン・ノイマンである。彼の破天荒な生涯と哲学を知れば、今の便利な生活やAIの源流がよくわかる!

「科学的に可能だとわかっていることは、やり遂げなければならない。それがどんなに恐ろしいことにしてもだ」

彼は、理想に邁進するためには、いかなる犠牲もやむを得ないと「人間性」を切り捨てた。

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コンピュータ、原子爆弾、ゲーム理論、天気予報……現代社会の基本構造を作った天才の栄光と苦悩

表紙より

20世紀最高の科学者との呼び声もあるジョン・フォン・ノイマン。人類史上最強の頭脳を持っていた彼の生涯と、彼が抱えていた善と悪の両面に触れることができる一冊です。

ざっくり感想

ジョン・フォン・ノイマンに関しては、アラン・チューリングと並んでコンピュータの生みの親であるくらいの認識でした。

そんな人物が、実は20世紀を代表する科学者の中でも一際光彩を放っていた天才であり、その一方で「人間のフリをした悪魔」とまで呼ばれていたとあり、その生涯と哲学を覗いてみたく手に取ってみた本になります。

難しい話が多いかと思いきや、ノイマンの生涯とその思考にフォーカスした内容で、彼が関係した数学や物理学の理論については概要でさらっと登場するだけになります。そっち方面の素養が特にない私でも面白く読めました。

ノイマンと親交のあった、アインシュタイン、ゲーデル、シュレーティンガーなど、聞いたことのある有名な科学者や数学者がたくさん出てきます。天才のオールスター!って感じ()で、ノイマンを中心とした彼らの関係を知るのも楽しかったです。

また、ノイマンは「マンハッタン計画」に関係して原爆開発を推進していたこともあり、日本人に関係が深い原爆投下までのエピソードがリアリティを持って淡々と語られます。日本に対してどのような思いで原爆を投下するに至ったのか、とても興味深く、純粋に読み物として面白く読めました。

天才の善と悪

彼は、わずか53年あまりの短い生涯の間に、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学・政治学に関する150編の論文を発表した。
(略)
プログラム内蔵方式の「ノイマン型コンピュータ」、量子論の数学的基礎に登場する「ノイマン環」、ゲーム理論における「ノイマンの定理」など、20世紀に進展した科学理論のどの研究分野を遡っても、いずれどこかで必ず何らかの先駆者として「ノイマン」の導いた業績に遭遇する。ネットで検索すると、「ノイマン集合」、「ノイマン・ボトルネック」、「ノイマン・モデル」、「ノイマン・パラドックス」など、彼の名前が冠された専門用語を50種類以上発見することができる。

ノイマンがいかに天才だったか、上の引用だけでも、多彩な分野で大きな功績を残していたことがよくわかります。彼の存在なしに、現代社会の基礎は築かれなかったと言っても過言ではないのでしょうね。

ノイマンの思想の根底にあるのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」である。

後世にも影響を与える輝かしい実績を残す一方で、第二次世界大戦では人間性を切り捨てたマッドサイエンティストとして名を馳せます。

ノイマンは科学者でありつつも、陸軍・ホワイトハウス・戦争省の関係者として第二次世界大戦に深くかかわり、弾道学の定式化や原爆開発の推進により戦中のアメリカに貢献します。第二次世界大戦終結後は、アメリカは「世界で最大の武器を保有するべき」として、原爆より威力が大きい水爆の研究を推進しました。

その背景にあったのは、理想に邁進するためにはどんな犠牲も厭わない姿勢。科学者として何をおいても科学を突き詰める理想と、世界政府による世界統治の理想を抱いていたノイマンは、2つの理想を追い求めた結果、人類を複数回絶滅できるほどの怪物を作りだしてしまったのです。

こう書くと惑うことなきマッドサイエンティストなノイマンですが、アメリカが第二次世界大戦に参戦するまでの彼にはそんな影は感じられません。穏和で人当たりの良い、天才と呼ばれる人物には珍しい(偏見)常識人で、科学者の仲間は大事にするし、自分より天才の人物は素直に認める。むしろ本書に何度か登場してくるゲーデルの方が、普通の人がイメージする天才科学者っぽい。(ゲーデルは統合失調症で奇行が多かったそうです。)

ノイマンには唯一、女性のスカートの中を覗く「癖」があったようですが……笑

第二次世界大戦を経て、自らが怪物を作り出した重責に耐えるため、また親しい人がソ連のスパイだった裏切りから自分の精神を守るため、人間性を切り捨てて悪魔にならざるをえなかったのかもしれません。

数学者としてのノイマン

ノイマンの考え方でもう一つ興味深かったのが、数学に対する捉え方。ノイマンは、数学を人間の経験と切り離せないものとする「数学的経験論」を唱えていました。(対して、「不完全性定理」で有名なゲーデルは、数学的対象は人間の定義と構成から独立して存在する「数学的実在論」を唱えていた。)

ノイマンは、純粋数学で見られる重箱の隅のような些事に囚われることは危険とし、数学の未来に対して危機感を抱いていました。

(数学が)「審美主義的になればなるほど、ますます純粋に『芸術のための芸術』に陥らざるをえない」

「経験的な起源から遠く離れて『抽象的』な近親交配が長く続けば続くほど、数学という学問分野は堕落する危険性がある」

「芸術のための芸術に陥る」とは上手いこと皮肉るなぁと思います。すごくウィットに富んでいるというか、言葉にセンスがあるというか、人間的に豊かな人物だったんだろうなと想像します。

そうやって純粋数学から離れたノイマンは、量子論、ゲーム理論、コンピュータ理論と応用数学に進んでいきます。そうしてノイマン自らの経験に基づいて生まれた実践的な理論が、こうして後世に大きな影響を与えていると思うと、ノイマンの考えは正しかったのかなと思います。

コンピュータとノイマン

さて、そんなノイマンがコンピュータの理論を考えていたのは、原爆投下目前のことで、ほかの仕事に忙殺されている合間に残した手書きのメモが元になっています。

ここでノイマンが構想したのが「プログラム内蔵方式」。一つのハードに対して内臓するプログラムを入れ替えることで様々な機能を持たせるアーキテクトで、まさに現代、スマートフォンが「時計」「手帳」「電話」など、アプリ次第で多様な機能を持つのと同じ考え方です。

現代のコンピュータの礎となるまったく新しいアーキテクトを考案したノイマンですが、その頃にはもう、機械が人間の思考にどれだけ近づけられるか、という人工知能の考え方まで模索していたというのですから驚きです。とんでもない先見の明ですね。

ノイマンは1957年2月に、癌により53歳の若さで逝去します。同じ年の3月には、イエール大学で「計算機と脳」というタイトルで2週間の連続講義が予定されていました。癌によって講義を延期しても、連続講義の予定を1回の講演に変更しても、病気で喋ることができなくなっても、原稿を口述しようとするほどこの講義に執着していたそうです。

結局、原稿は未完のままとなってしまいます。ノイマンが人間とコンピュータにどんな未来を描いていたのか、知ることが出来ずに残念でなりません。

科学者として輝かしい功績を残した一方、理想を追い求めるために人間性を切り捨てた天才。

その生涯と哲学がぎゅっと凝縮された読み応えのある一冊でした。

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